ハナノアの刺激

私もついに鼻うがいをやり始めた。

きっかけはコロナだった。8月の初め、私は熱を出し、体調を崩した。2週間ほど経過しても前のような体調には戻れなかった。

噂で鼻うがいが良いという話を聞いた。その頃の私は噂でもなんでもいいや、とにかく少しでも回復したいと思いハナノアを躊躇わずAmazonで注文した。

鼻うがいの皆のイメージはなんだろうか?

私は今田耕司の広告が頭にこびりついていた。

高校に通っていた頃、くだらないクラスメイトがこの画像をアイコンにしていたような気がする。

ハナノアがAmazonですごい速さで届く。

届いてみると、私あるあるなのだが急に面倒くさい。

使い方が色々と細かく書いてある気がするし、それをちゃんと読まないで適当に使用したならばそれはそれで厄介なことになりそうで一日放置した。

翌日、薬が効いて少し楽になった時、やっと使う気になる。ちゃんと確認すれば細かく使い方が説明されてるようなことはない。簡単に使えるし気をつけることも四つくらいだ。

やっと鼻うがいをする。今田耕司の広告のようにはいかない。口か?液を注いでる方の鼻の穴か?もしくは逆の鼻の穴か?結局よくわからないが、どこかに液が入ってどこかから液が出ていた。

 

「なんだかこんなこと前もあった気がする………」

 

ティッシュで優しく拭き取り、横になる。

二、三度寝返りすると、

アッ! ヤバい!! 

急いで鼻に手を当て、ティッシュを探す。

この感触、鼻血が出る時のやつだ!!!

時既に遅し、枕に血のシミついちゃった…と思ったが、さっきの鼻うがいの液だった。

冷静になって振り返れば鼻うがいの液しか有り得ないのだが、その時には鼻血にしか思えなかった。

というか、あんなに拭いたのに、まだどこかに隠れていたんだね。

ちなみにこの経験はこのあと何度もあり、何度経験しても鼻血だと思って焦ってしまう。

もう一度横になろう。

 

私はプールサイドにいた。すごく嫌な夢だった。

 

目が覚めて思い出す。

あ、鼻うがいのあの感じ、ひたすらに泳ぎ続けてもう何が何だかわからなくなっていっぱい水を飲んだりしちゃった時の感触に似ている。

 

私は中学三年間水泳部に所属していた。小さい頃から習い事で水泳はやっていた。あまり深く考えず、水泳部に入部した。一年生の5月か6月、とても寒いなか屋外のプールでの練習が始まる。水泳部になってはじめての泳ぎのトレーニング、私は寒さのことばかり気にしていた。だが、問題は寒さではなく、私の泳ぎのスピードだった。

習い事で泳いでいる時は全く気がつかなかったが、私は泳げるだけであって、水泳部で競うような速さは一切なく、なんなら長距離泳ぐための体力もなく完全な落ちこぼれだった。一年生の夏はカスのまま特に何もなく先輩に怯えて終了。

二年生になった時、それなりにちゃんと練習をこなしていた私は新入部員に恥ずかしいところを見せることなく済む。やっぱり若くてとにかく練習してれば、そもそも低い位置からのスタートだし、すごく成長するんだなと思う。

この時、二年生の私は気がついていたが、本当に部で私は中堅の位置にいた。この経験があるから私は中堅芸人と称される奴らが嫌いになれない。

部には2人の顧問がいて、どちらも水泳の教育に関してはプロだ!という自負がありめっちゃわかりやすく対立していた。顧問aは超優秀な生徒10人ほどに専属コーチみたいなスタンスを取った。顧問bはその態度が気に入らず、選抜10人からこぼれた奴らをいかにレベルアップさせるかに心血を注いでいた。

問題は選抜に選ばれなかったけど中途半端に泳げてプライドがあり、選抜の奴らと仲良くしたいと考える奴らだった。彼らは必然的に顧問bと顧問bの練習を受けてるモブ(私も含む)を避けた。

それ故に顧問bは、やけに私を気に入っていた。私みたいに練習を地道にこなしていけば一年生の時に市の大会でなんとなく泳ぎ、区の大会で変な出番をこなしていたやつも県大会まで進めるようになるのだと、私を一種のロールモデルにした。

私はいつのまにか顧問bの派閥に入れられていたのだ。政治って難しいなって思うよね。

 

この頃の私は変だった。なぜそうだったか、理由はわかっているがここでは書かない。

とにかく真面目だった。そして冷めていた。褒められても嬉しくなかった。正義感が強かった。しかしそれを皆に強制しなかった。みんなダサいと思っていた。俺はコイツらみたいにならなければそれで勝ちだと考えていた。

一年後、羽海野チカ先生の『3月のライオン』を読んだ私はこの頃の自分が救われたような気がして体を丸めて寝たけれど、その時のことはまた今度にする。

 

二年の夏が終わり、基本的には泳げない時期がくる。この時期の水泳部が1番ろくでなしだと思う。ダラダラ走って、おしゃべりして、嘘の筋トレをしていた。私も流石に他のことの方が楽しかったし、雨の日とかはもう練習をサボって家に帰ったりもしていたと思う。

 

この頃、部内でよくわからない話が広がる。

今度の土曜日、高校の水泳部の練習に混ぜてもらうらしい…

誰かが言い出した。結局詳細な情報が出ないまま、ある日顧問bが今度の土曜日は〇〇高校の練習に参加する。参加したいやつは紙に書いて出すようにと言った。

屋外の学校のプールが使えない時は土日だけ、どこかの温水プールで軽く練習するのが部の習慣だった。

私はいつも通り、高校の練習だろうがあまり変化ないだろうと、参加することにする。

何より、みんな浮き足立っていて、参加する感じの空気だったのだ。

 

高校の練習に参加する土曜日の三日前。また変な話が広まりだす。今度行く〇〇高校って〜〜先輩が通ってるところで練習がクソ厳しいし〜〜(以下省略)

要するに直前になってみんなビビり始めたのだ。

顧問aから選抜されるような奴らは土日は自分のスイミングスクールで練習する。だから、初めから私よりもちょっと速い奴らと私より遅い落ちこぼれしか参加メンバーにはいないのだ。

 

本当に信じられないのだけれど、高校の練習に参加すると言っていた彼らは1人また1人と嘘の予定で言い訳をして直前になってキャンセルした。群れなきゃ生きていけない人たちは、数人がキャンセルするとそっちに流れるのだった。

 

練習当日、私と怪我してまともに泳げない同級生の女子aと理由は忘れたが泳げない女子b、女子c、それに顧問bの4人で高校に向かった。俺とほとんど泳げない女子aの2人で練習に参加した。

部の男たちはマジで全員信頼に値しないと思った。

俺、この頃から男をあんまり信じてないよ。

 

もう中学三年の時の話は一旦省略するわ。

 

ハナノアのせいで色々と思い出してしまった。

振り返ってみると中学三年間の水泳部の経験が今の私の根幹を作ってしまっているような気がする。

 

部活動とかスポーツの発展の歴史には軍や統治との関係が切り離せない。わからないけど…

俺は気がつかないうちにザ・サイボーグみたいな働き方をしていたと思う。そしていまだにその感覚が抜けない。

でも、あの水泳部では俺がレアケースだったわけで、だから俺こそ真の×××なのかな?なんて思う時もある。ぶっちゃけ。

 

こないだ読んでた国木田独歩の「空知川の岸辺」にこんな文章があった。

「彼はよく自由によく独立に、社会に住んで社会に圧せられず、無窮の天地に介立して安んずる処あり、海をも山をも原野をも将た市街をも、我物顔に横行闊歩して少しも屈託せず、天涯地角到る処に花の香しきを嗅ぎ人情の温かきに住む、げに男はすべからくこの如くして男というべきではあるまいか。」

 

私は中学三年の夏以来いっさい泳がなくなった。

 

 

 

寝れない………

眠れぬ夜は君のせい

眠れぬ夜は君のせい

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